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花の地図
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「海に出る なじみの小道 小判草」緑陰の影の中に小判草の実が風に吹かれている。
明治時代に日本に英国からやって来た植物のようである。そこいら中に蔓延って嫌われているが、何とも庶民的な名前で好きである。海辺の砂浜では浜昼顔が天を仰いで小さくゆれている。大きな天空の下たくましいのに可憐な花をつける。花達の季節の地図を描いてみたいとおもう。先日SONYのロゴマークがTV広告の際に毎回異なるロゴの変化を見せると話題になったことを思い出した。ブランドマークは変らないものだという概念を替えて新鮮に感じた。自然界では変っている事が当然とあらためて思った。無常。常は無しとは?
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初夏の海
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初夏の海が今日は見れた。どこまでも蒼い、彼方まで青く、遥かな海が気持良い。
心地よさは風が運んでくる。風は波の上に白い霧状の花を咲かせてくれた。
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霧の中に一本の枯れ木が立つ。大きな鳥の姿がその枝にとまったような気がする。
本当にあったような話 という 吉田健一さんの本を読んだ。情景描写が凄い。
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世界
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雲の切れ間に浮かんだ光景はいつもの風景とは異なっていた。
タイムスリップした鎌倉時代の浜辺か?2500年の未来の光景なのか?
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海霧
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この頃の季節、海から山に向い霧が登る。普段の高度感覚より海抜500mは高くなったように思える。絵巻のナカノ雲のように光りのなかに隣町が浮かぶ瞬間もある。
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百年の復元
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百年の昔の復元について考えた。百年を経てその姿は時代を刻み込んでいる。石は風化し鉄も燃え続けた酸化の跡が錆となっている。木の表面も深い皺を刻んでいる。百年前の輝きを再現する事が大事なのか、その時の感動の正体を捕まえる事が大事なのか、骨董界では百年は骨董の内には入らないそうである。千年の復元、もっと難しい事だろうが、人智はこれを
こなしている。頭で考えた人々でなく、手足で考える職人たちだ。百年、千年伝承される姿を見極めたい。
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百年の彼方
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百年の彼方を見つめた経営者の言葉をいつか聞いた。この先どうあって欲しいと願う事が百年お彼方までも見つめなければいけないのではないかと語り、そこに多くの人々が関わる事が大きな責任として自分にかせられていると語っていた。刹那の時代に、重みのある、まっとうな美しい発言と思った。爽やかな風が遠くから沢山の情報の波を運んでくる。
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百年待つ
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百年前から此の瞬間を待っていた。浪はこれから百年かけて砕けていく。
百年前から男は待っていた。百年間は静かに流れていた。
此の瞬間の激しさの為に、音も無く、光も無かったのだ。
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百年の後
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百年前の人間が海岸の彼方から浜辺を歩いてくる。百年後の世界から走って来るものがある。彼らはこの浜辺ですれ違い去っていった。たった今の話だ。風が強く白い浪が物語を知っている。
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百年の浪
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百年前の浪の姿について考えた。浪は変っていないようで変っているのだろう。海水の変化
気候の変化 大気の変化 見え方が変っているのだろうか。世に不変なものは無いのだろうか。不易流行
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百年の未来
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此処に百年前の風景と、今現在の同じ風景を並べてみた。今から百年後此の風景はどのように変るのだろう。緑が増えて廃虚のようになった町が足元に広がっているのか。繁栄する町と緑が無くなった町があるのだろうか。どちらも感心しないが、未来社会では外に出る事が少なくなり室内で様々な環境コントロールが行われ、外の環境は原始へと向って戻っている。そんな未来を感じるのだがどうだろうか。百年後には此処いらは鹿児島なみの気象条件になるだろうとの予測だ。温暖化が加速した未来では原色の風景が広がっているのか。
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増え続けるもの!!!!!
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ここには見上げるような枝垂れ桜が毎年咲いていた。今桜は移されて今年はわずかな花を咲かせていた。この地には一軒の別荘が建っていた。今分譲地として階段状の宅地が春の陽射しの中に大地の傷口のような肌を見せている。いったい人間はどこまで増え続け、此の地をも何分割したら気が済むのだろう。かっては富が片寄っていて庶民は小さな長家等に暮らしていた。それも大家族で、人口密集度は最高だった。今人々の体格向上と比例して住宅はその広さを拡大して来た。自然界では春に芽をだし、夏茂った木々の葉は、秋には落ちて大地にかえる。そんな風に人間も自然と一緒だったのに、今は朽ちずに増え続ける。沢山の木々が芽を出して葉に変るのを見ながら考えた。
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闇が消えた!!!!!
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この町の百年前の化粧坂という名の場所は、昼間でも暗い坂道だったという。黒松が生い茂り、急坂を荷車を押して急ぎ足で駆け抜けたという。いつの時代からか松は消え始めた。
今では榎の大木しか無いその坂道は明るい陽射しと、なだらかになった坂があるだけだ。
いつの時代からか、闇は消え、明るい場所だけが増え続けた。夜も明るい町や田舎の道が日本中に増え続けている。夜には光る日本列島が地球の中で浮かび上がっている。それに反比例して人々の心の中には闇が充満していっていると思うのは私だけなのだろうか。
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百年の昔
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明治20年七月この町のこの駅は開設された。花が植えられた左の写真は、どこか日本の中の片隅に今も在る駅のようにも見える。今年もまもなく駅舎のなかにツバメ達の巣作りが始まる。桜の花びらは雨に流されて麓の海へといってしまった。多くの人達が此処を通過して
いった。百年は長いようで短い。六千年の昔、この駅前は波打ち際だったという。白日夢のように椰子の実がひとつ転がっているのが見えた。駅前の広場に、流れ着いた椰子の実は、数千キロの彼方から「海の道」を流れ着いたものだと連想した。いまここにある「鉄の道」の駅は、これからどうなっていくのだろう。
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飛沫
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波の飛沫 ひたすらに 宙を舞う  
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